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池野成プロフィール

1931年2月24日北海道札幌に生まれ、2004年8 月13日東京にて73歳の生涯に幕を閉じた。

祖父・池野成一郎は蘇鉄が精子によって繁殖することを発見した植物学者であり、日露戦争のあったことも終わるまで知らなかったという伝説をつくられたほど純粋な学者の家系に生まれた。 直径の孫である成は、その研究精神を引き継ぐかのように、作品においても徹底して、妥協を許さなかった。 ゆえに寡作であるが、一作、一作の濃厚でエネルギッシュな作風とプリミバル的リズムは「池野トーン」「池野リズム」として独自な世界を築いた。

高校時代ラグビー部のキャプテンとして活躍した池野は音楽の道へとひかれ、東京芸術大学において、池内友次郎、伊福部昭に師事。 大学在学中より、伊福部昭の片腕として世界的名著「管弦楽法上・下巻(伊福部昭著)」の編纂から、映画音楽のオーケストレーションを担い、伊福部のもっとも信頼する弟子のひとりとなる。

芸大管弦楽部では打楽器を担当、のちに池野作品の特色を決定づける要因に発展する。 1952年「序奏と交響的アレグロ」が第21回日本音楽コンクール管弦楽部門第2位に入選。NHK交響楽団、山田一雄指揮により演奏され、1953年には「ダンス・コンセルタンテ」が東京交響楽団第58回定期演奏会(指揮:上田仁)により演奏される。

1956年、映画「稼ぐ日」で映画音楽作家としてもデビューし、その驚異的な仕事の速さと、映像への巧みな音楽は監督陣から注目され、瞬く間に大映、東映、東宝、松竹等の製作会社と契約を結び、「氷点」「白い巨塔」「妖怪大戦争」「電送人間」など200作品にも及ぶ映画音楽を担当する。 その間東京芸術大学、東京音楽大学において、作曲・管弦楽法の講師を務め、多くの人材を育てた経緯は枚挙にいとまがない。

1994年より長年憧れていたスペインに移住し、バルセローナにて作曲した「ディヴェルティメント」が遺作となった。

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